日本における占い師の歴史とは?各時代の占いについても紹介

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日本最古の占い師を知っていますか?最も古いとされる占い師は邪馬台国の女王である「卑弥呼」であり、日本では、はるか昔から占いが行われていました。占いによって政治を決めることもあり、占いはとても重要な政策だったと言えるでしょう。

その後も、様々な変化を経て、現代へと至っています。時代によって、占い師の存在も変わってきており、長い歴史が紡がれています。

日本において占いはどのように変化していったのか。占いと占い師の歴史について紹介します。

日本における占いと占い師による歴史

当然ですが、占い師の歴史は占いとともにあります。では、占いはいつから行われていたのでしょうか?

弥生時代

日本では、弥生時代ごろから占いが行われて来ました。当時の占いは神のお告げとして神聖化され、作物の豊凶や自然災害など、政治的判断のほとんどは、占いによって決められていたのです。

弥生時代といえば、日本初の女王である「卑弥呼」が有名です。卑弥呼は呪術者としての側面も持っており、占いは主に卑弥呼によって行われてきました。そして、卑弥呼が聞いた神の言葉(占いの結果)を卑弥呼の弟が聞き取り、各国の王たちに伝えていたのです。

「卑弥呼が表舞台にあまり出なかったのは、占いをするため引きこもっていたから」といった話もあり、占いが頻繁に行われていたことが伺えます。

主に行われていた占いは、獣の骨を使った「太占(ふとまに)」です。これは、獣の骨(主に鹿)に火のついた棒を当て、それによってできた骨のひび割れによって吉兆を占う方法であり、日本における最古の占いともいわれています。

他にも、占いとは少し異なりますが、祈祷によって神のお告げを承る「託宣(たくせん)」なども行われていたようです。

飛鳥・奈良時代

飛鳥時代ごろになると、占いは多様化していきます。中国から様々な文化が来日し、その中には占いも含まれていたからです。

筮竹を使った「易占(えきせん)」や、亀の甲羅を使った「亀卜(きぼく)」などが広まり、占いを専門とする陰陽寮が設立されました。弥生時代ほどではありませんが、飛鳥時代でも、政治を始め様々な出来事に占いは活用されていたのです。

一説によれば、天武天皇自身が占いに精通しており、天武天皇自らが占いをしていたこともあるようです。

また、奈良時代になると、辻道に立ち占う「辻占(つじうら)」が、民衆の間でも広まっていきます。

平安時代

平安時代になると、陰陽師が大々的に活躍するようになります。この時代は、疫病や飢饉などによる被害が広まっており、それらは悪霊や疫鬼が原因と考えられてきました。そのため、陰陽師たちはそれら悪しきものを祓うことも仕事としていたのです。

平安時代の陰陽師といえば、安倍晴明が有名です。現代でもよく耳にする陰陽師の第一人者であり、様々な伝承と逸話が今でも伝わっています。さすがに、小説や映画のような奇天烈な出来事はなかったと思われますが、それでも、物語になるほど、占術や陰陽術などに長けた不思議な人物だったといえるでしょう。

式盤と呼ばれる道具を使った「六壬式占(りくじんしきせん)」や、月の状態から占う「宿曜占星術(すくようせんせいじゅつ)」なども行われるようになり、前の時代よりもさらに、占いは多様化されていきます。

戦国時代

戦国時代では、兵法の一つとして占いが活用されていました。戦の日時、攻め込む方角、天候などを占い、戦術や戦略として使われます。一説によると、有名な関ヶ原の戦いも、占いによって合戦日時が決まったそうです。

また、戦で使われることから、多くの武将や軍師が占いに精通するようになります。特に、武田信玄は占い好きとして有名であり、軍師を選ぶ際、軍師養成機関である足利学校で占いを習ったかどうかを重視しました。

もちろん、占いを信じない武将もいましたが、多くの武将は占いを信じ、軍師や専属の占い師に占ってもらったうえで、戦をしていたのです。

江戸時代

江戸時代になると、民衆の間で占い師が登場するようになります。陰陽寮出身の陰陽師が街中でも活躍するほか、その陰陽師から占いを学ぶことで、占い師が増えていきます。中には、知識や経験のない詐欺まがいの占い師もいたようですが、民衆の間でも占いが定着していくのです。

一方で、陰陽寮の権限は逆に弱まっていきます。江戸時代ごろは、天文学や測量学といった学問の発展が目覚ましく、昔のように占いが中心ではなくなってきたためです。

もちろん、完全に占いが廃止されたわけではありませんが、より正確な情報を求める幕府によって、規模が縮小されていきます。

明治~昭和時代

明治時代ごろになると、占いは完全に大衆化します。政治に関わる占い師もいますが、それはほんの一部であり、ほとんどは民衆の間で占われていきます。

政治の道具としての側面よりも、娯楽としての側面が強くなったといえるでしょう。

また、昭和に入ると第一次占いブームが到来します。日本で広まった海外の文化にはタロットや西洋占星術などの占いが含まれており、電化製品などと一緒に認知されていきます。物珍しさもあり、誰もが自分で自分や友達に対して占いを試したことでしょう。

その後も、雑誌や新聞などで占いが取り上げられ、そのたびに第二次、第三次と占いブームが到来します。ブームに合わせて占いの著書を出版したり、血液型占いなど新しく占いが作られたりなど、娯楽として占いは認知されていきます。

平成・令和時代

平成になると、娯楽として楽しむだけではなく、癒しとしても占いが求められます。占いの館へ人生相談をしにくる人も珍しくはなく、精神的な疲れを、占いで発散するのです。

また、時代に合わせて、デジタル技術を活用した占いも増えていきます。電話占いはもちろん、インターネットを活用したネット占いも近年では有名です。テレビでは占い専用のコーナーを設けることも多く、さらに占いが日常的になったといえるでしょう。

他にも、占い師になるための資格が発行されるようになります。民営資格なため絶対に必要なわけではありませんが、占い師として活動するためには、資格の有無はとても重要です。

カリスマ占い師として活躍する人も多く、一つの職業として確立されています。

まとめ

占い師は、古くは飛鳥時代から登場します。権限が強い職業の一つであり、政治や戦など、重要な場面で占いが活用されることも珍しくはありませんでした。

ですが、学問や科学が浸透するに従って、占い師の権限は低くなってきます。それと共に占いは大衆化し、合わせて、占い師は誰もがなれる職業へと変化していくのです。

日本以外でも、時代とともに占いは、政治的側面から娯楽の側面へと変化していきます。占い師の存在も日本とあまり変わりません。

今後も占いは娯楽としての側面を持ちながら、様々な形で親しまれていくと考えられます。

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